「尾崎喜八」の版間の差分

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山岳と自然を主題とした[[詩]]や[[散文]]に多くの優れた作品を残したほか、クラシック音楽への造詣が深く、晩年の音楽随筆集『音楽への愛と感謝』が代表的著書としてある。[[ロマン・ロラン]] と[[白樺派]] の影響下に文学的出発をした後、[[高村光太郎]]とともに詩と芸術への研鑽を重ねる。
詩・随筆の訳書として、文通のあったロラン、[[]] ヘルマン・ヘッセ]]を始め、[[ライナー・マリア・リルケ]]、[[モーリス・メーテルリンク]] 、[[ シャルル・ヴィルドラック]]、[[ジョルジュ・デュアメル]] などの珠玉の翻訳がある。
一般的には[[美ヶ原]]の美しの塔に刻まれた詩'''「美ヶ原熔岩台地」'''が知られている。
また、戦後の7年間、長野県諏訪郡富士見町に住み、後期の傑作にして代表作である詩集『花咲ける孤独』を書いた。この時期に、戦前から続く長野県の自然と郷土と山々への愛着はさらに深まり、[[長野県]]下の小中学校を中心として多くの[[校歌]]を作詞した。
現在、富士見町立「高原のミュージアム」には、喜八の遺品、文学資料を多数収蔵・展示されているほか、北海道の「北の[[アルプ]] 美術館」でも展示・資料研究が行われている。また、遺族・支持者・研究者による尾崎喜八研究会による年鑑「尾崎喜八資料」(1985〜、ISSN 0911-3339)が16号(2000)まで刊行されている。
 
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