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茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の[[茨城県立竜ヶ崎第一高等学校]])を経て[[1953年]]、[[早稲田大学]]文学部卒業。同年、開局したての[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]に入社し、[[報道]][[記者]]として活躍。
 
[[1961年]]から、ドキュメント番組「ノンフィクション劇場」を制作。「老人と鷹」で、民放祭(現[[日本民間放送連盟]]賞)金賞。またプロデューサーとして[[大島渚]]の演出作品「忘れられた皇軍」(1964年)などを担当する。

しかし、[[1965年]]の「ベトナム海兵大隊戦記」は第1部の放送後各界からの批判を浴び、第2部以降が放送中止となった。テレビの枠内でジャーナリスティックな姿勢を貫くことの限界を思い知らされた。
 
その後[[1966年]]から『[[日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行]]』を制作。[[1990年]]までの24年間に渡って放送される長寿番組となった。[[1972年]]に独立し、「日本映像記録センター(映像記録)」を設立。フリーのドキュメンタリー映像作家となり、これ以降も「すばらしい世界旅行」の制作、さらに[[1975年]]から「[[トヨタ日曜ドキュメンタリー 知られざる世界]]」(~1986年)の制作を手がけた。