「アブロ・カナダ」の版間の差分

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=== 戦後 ===
戦後、[[カナダ空軍]]や[[トランス・カナダ航空]]のための航空機の生産を始めた。全天候ジェット戦闘機[[CF-100]]は[[1946年]]に開発を開始したが、運用の開始は[[1952年]]からと遅れた。[[1949年]][[8月]]には[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]][[アブロ・カナダ C-102 ジェットライナー|C-102 ジェットライナー]]を初飛行させた。[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]]・[[デハビランド DH.106 コメット|コメット]]に遅れることわずか2週間であった。
 
=== 解散 ===
このように順調に事業を進めたかに見えたアブロ・カナダは、大型の超音速デルタ翼迎撃機[[アブロ・カナダ CF-105|CF-105 アロー]]の[[1959年]]の突然の計画中止で打撃を受け、縮小された。なおこの突然の計画中止は様々な憶測、波紋を呼び、あまりの高性能に驚いた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の航空機メーカーからの圧力とも噂された。
 
[[1962年]]に親会社のアブロが[[ホーカー・シドレー]]に買収されたが、その後ホーカー・シドレーはカナダの資産を売却し、[[トロント・ピアソン国際空港]]北側にあった最初の航空機工場も[[デハビランド・カナダ]]、[[マクドネル・ダグラス]]、[[ボーイング]]に運営されたが[[2005年]]に閉鎖した。[[ホーカー・シドレー・カナダ]]は結局、[[1990年代]]後半に年金基金を残して解散した。
 
== 関連項目 ==
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