「コメット連続墜落事故」の版間の差分

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[[Image:Comet 1.jpg|thumb|280px|コメット Mk.I 原型機。客窓が長方形だった]]
'''コメット連続墜落事故'''( - れんぞくついらくじこ(''de Havilland Comet disasters''))は、世界最初の実用的[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]である[[イギリス]]の[[デハビランド DH.106 コメット|デハビランド社製「コメット」]]に発生した、構造上の欠陥による[[航空事故]](空中爆発)である。
 
事故原因の調査過程で、コメット機に内在していた当時の[[航空工学]]および[[金属工学]]の分野で未知の領域にあった欠陥が解明され、また故障の拡大を食い止める[[フェイルセーフ]]思想が発展普及したため、その後の航空機の安全性が著しく向上し、かつ航空事故の科学的検証手法の雛形が構築されたことでも、貴重な教訓を残した。
 
== デハビランド コメット ==
=== ブラバゾン委員会 ===
[[第二次世界大戦]]中、イギリス政府は[[アメリカ合衆国]]との取り極めで、欧州戦線に投入する重[[爆撃機]]の生産に集中することになり、一方のアメリカは[[輸送機]]を担当することになった。これはイギリスからすれば、戦後の民間輸送部門における輸送機のノウハウ構築に寄与しないのは明らかであった。
===コメットの開発と就航===
[[Image:RM2 aka De Havilland Ghost.jpg|thumb|240px|コメット Mk.I に装着された物と同系の「ゴースト」エンジン]]
後にコメットと呼ばれる機体は、当初タイプ4として提案されたカテゴリー、即ち超高速で[[大西洋]]横断飛行可能なジェット郵便輸送機の計画だったが、同国初ジェット[[戦闘機]]の開発に成功した老舗航空機メーカー・[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]]社は、より大型化したジェット旅客機という全く新しいジャンルに挑むことを表明し、軍需省([[:en:Ministry_of_Supply|Ministry of Supply]])から2機、[[英国海外航空]](BOAC、現[[ブリティッシュエアウェイズ]])から7機の仮発注を受け、[[国家プロジェクト|国的プロジェクト]]として[[1946年]]9月に開発が始動した。
 
計画着手時には24席クラスの無尾翼機案が有力だったが、[[1946年|同年]]に愛息を [[メッサーシュミットMe163|Me163「コメート」]] を摸した自社の無尾翼高速研究機 [[デハビランド DH.108|DH.108]] の事故で失った同社創業社長ジェフリー・デハビランド([[:en:Geoffrey_de_Havilland|Geoffrey de Havilland]])にとって、世界初のジェット旅客機を自らの手で早期に完成させることは悲願になり、堅実な緩後退翼案に転換すると共に、融通性重視で自社製[[ターボジェットエンジン]]「ゴースト」([[:en:De_Havilland_Ghost|Ghost]]) エンジンが選定された。
 
イギリスで開発され、[[第二次世界大戦]]終結時には既に十分な実績を積んでいた遠心圧縮式 ([[:en:Centrifugal compressor|centrifugal compressor]]) ターボジェットエンジンだったが、機械的限界から推力 5,000 [[ポンド|ポンド(lbf)]] (≒22 k[[ニュートン|N]], 2,300 [[キログラム重|kg]])以上に向上する余地が殆どなく、当時最強を誇ったデハビランド「ゴースト」([[:en:De_Havilland_Ghost|De Havilland Ghost]])や[[ロールス・ロイス ニーン|ロールス・ロイス「ニーン」]] ([[:en:Rolls-Royce Nene|Rolls-Royce Nene]]) とて例外ではなかった。
 
遠心式よりも構造は複雑化するが、小径で応答性に勝り、制御パラメータがより多く取れ、発展性のある軸流式([[:en:Axial_compressor|axial compressor]])への転換は技術的必然だったが、後退翼と同様に、軸流式ターボジェットエンジンの分野で先陣を切っていた独の技術者は、敗戦と同時に米ソが奪い合う形で自国に招聘していたため、英仏は独自開発を余儀なくされ、スタートラインから大きく出遅れていた。コメットの設計着手時に基礎研究段階にあった、軸流式の[[ロールス・ロイス エイヴォン|ロールス・ロイス「エイヴォン」]]([[:en:Rolls-Royce Avon|Rolls-Royce Avon]])、並びにアームストロング・シドレー「サファイア」([[:en:Armstrong Siddeley Sapphire|Armstrong Siddeley Sapphire]]) の開発は難航しており、実用化は[[1950年]]以降になると予想され、それらの完成を待っていてはコメットの計画全体が遅延するため、敢えて小出力の「ゴースト」で試作が進められることになった。
 
機体の規模に対して、4発をもってしても推力が不足する「ゴースト」の採用は、設計全体に影響を及ぼした。コメットが未だ製図板上にあった[[1947年]]末に、米[[ボーイング]]は独から受け入れた亡命技術者達に青天井の予算を与え、戦時中のプロジェクトを継続させた結果、鋭後退翼を持つ超革新的な大型ジェット爆撃機 [[B-47 (航空機)|B-47]] を進空させると共に、後に主流となる主翼[[パイロン]]吊下式のエンジン搭載法を特許で固めてしまったため、デハビランド社の主任技師ロナルド・ビショップ (Ronald Bishop) は、空気抵抗の低減を兼ねて主翼付根に大径な遠心式エンジンを2器ずつ埋め込む途を選んだ。
 
推力の不足を補い、高[[与圧]](高度 35,000 ft=約 10,000 m 時に 0.75 気圧=2,700 m 相当を保つ)と、-60 度Cに達する低温に耐える必要から、機体には[[デハビランド モスキート|「DH.98 モスキート」]]([[:en:De_Havilland_Mosquito|Mosquito]]) など同社のお家芸とも言える木製高速機で十分な経験を積んだ、[[接着剤#接着剤の種類#有機系接着剤#合成系接着剤|エポキシ接着剤]][[:en:wiki/Redux_%28adhesive%29|「リダックス」]]が多用され、新開発の[[ジュラルミン|超々ジュラルミン]]薄肉[[モノコック]]構造による徹底した軽量化と、表皮の平滑化が図られた。後に総ての大型機に装備されるボギー式[[降着装置|主輪]]を初採用したのもコメットで、これらは[[ロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント]] (RAE) との共同開発である。
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