「ガイウス・ドゥイリウス」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m typo。 |
編集の要約なし |
||
1行目:
'''ガイウス・ドゥイリウス'''
詳しい家系などは分かっていないので、当時ローマ社会に台頭しつつあった新興階級であったと考えられている。このような古来からの社会的なつながりのない家系にもかかわらず、[[カルタゴ]]との軋轢がもとで[[第一次ポエニ戦争]]となると[[コンスル]]に当選する。同僚コンスルの[[グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ]]とともに軍を統率する立場ではあったが、後続部隊を率いており、あまり活躍は期待されてはいなかった。しかし操船に不馴れなローマ軍は、緒戦で同僚のスキピオ・アシナが捕虜となっ
この勝利にドゥイリウスは[[凱旋式]]を行う栄誉を得て、[[紀元前258年]]には[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]とともに[[ケンソル]]を
{{DEFAULTSORT:とういりうす かいうす}}
[[category:共和政ローマの人物]]
[[category:ポエニ戦争]]
|