「六位蔵人」の版間の差分

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'''六位蔵人'''(ろくいのくろうど)とは、[[令外官]]の役職で、[[蔵人所]]の[[官吏]]。[[五位蔵人]]の次位にあたる。定員はおおよそ4名から6名。[[天皇]]の[[膳]]の[[給仕]]等、[[秘書]]的役割を果たした。日下﨟(ひげろう)とも呼ばれた。六位の者が[[補任]]されるが、昇殿が許される[[殿上人]]となり、[[麹塵袍]]の着用が許されるなど、天皇の側近として名誉な職とされた。
 
任官資格順位としては「[[公卿]]の子弟の[[非蔵人]](蔵人の見習)」、「非蔵人」、「執柄勾当([[摂家]]の家来)」、「[[院司#主な役職|院蔵人]]」 「[[雑色]]」、「儒生の修了者([[明法道]]などの難試験に合格した者)」、「判官代」の順である。任官に年齢制限はなく、就任した順に「新蔵人」(しんくろうど)、「氏蔵人」(うじくろうど)、「差次」(さしつぎ)、「極﨟」(ごくろう)という席次があった。
 
首席の「極﨟」を6年間勤めると[[巡爵]]し、自動的に五位に昇進した。この場合、[[五位蔵人]]に空きが無いと、蔵人を辞職し[[地下人]]になる。こういう人を蔵人五位(くろうどのごい)と呼んだ。なお、殿上人から退くことをよしとしない者はあえて叙爵を受けず、六位に留まり、改めて末席の「新蔵人」となる「鷁退(逆退とも。げきたい)」という慣例が生まれた。
 
[[中世]]以降、五位蔵人は次第に[[名家 (公家)|名家]]と呼ばれる[[堂上家]]が経る職となり六位蔵人が五位蔵人となることはなくなっていったため、「鷁退」か五位の地下人になるかいずれかを選ばなければならなくなった。さらに時代が下ると六位蔵人を経たものが[[公卿]]に至ることもなくなり、[[近世]]では『[[地下家伝]]』に記載されるなど、殿上人でありながら堂上家ではなく、あくまで地下人の中での上級層とみなされていた。
 
[[近世]]では[[禁色]]勅許はもちろん、地下人であっても堂上家同様に[[鉄漿]]をつけることができた。禁色は五位になって地下人に降りれば使用できないが、鉄漿のほうは一生つけることができたという。
 
== 関連項目 ==
*[[源経任]] - 五位に昇進して地下人になる際の哀歌を詠んだ。
 
== 外部リンク ==