「トヨタ戦争」の版間の差分

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(フランス製やイタリア製の武器も多く使われていて、米ソの武器だけを隠蔽するものではない。隠蔽するまでもない。)
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'''トヨタ戦争'''(トヨタせんそう、Toyota War)は、[[チャドの歴史#内戦|チャド内戦]]の後期の戦闘。[[1987年]]、北部[[チャド]]、[[リビア]]との国境付近でチャド政府軍と反政府勢力、反政府勢力を支援するリビア軍の間で行われた。この戦争では[[トヨタ自動車]]の[[ピックアップトラック]]が[[テクニカル]]に改造され、両軍が使用したためトヨタ戦争と呼ばれるようになった。このため、学研の科学雑誌「UTAN」では、安易に軍用に転用される民生品を紛争地帯へ輸出することを批判する記事が掲載され、同時に各政党へのこの件に関するアンケートが行われたが、まったく反響はなかった。この戦争ではリビアは多くの損害を出し、7500人が死亡、およそ15億ドルの兵器を損失した。
 
チャド内戦は[[1983年]]に、リビアの[[ムアンマル・アル=カッザーフィー|カダフィ大佐]]がチャドの[[イッセン・ハブレ]]大統領を認めずにチャドの反政府暫定国民政府(GUNT)に軍事協力したことから始まっている。リビアのこの行為は[[フランス]]の介入を招き、マンタ計画、エペルヴィア計画によってリビア軍の軍事行動は16度線の北部、人口の少ない砂漠地帯に限られるようになった。
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