「1987年メキシコグランプリ」の版間の差分

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== 概要 ==
===予選===
予選では[[ウィ金曜のフアムズF1|ウィリアムズ]]・[[ホンダ・レシングF1チーム#第2期|ホンダ]][[ウプラクテリアムズ・FW11#FW11B|FW11B]]の[[ナイジェル・マンセル]]が[[ポールポジション]]を獲得した。なおスでは、[[チーム・ロータス|ロータス]]・[[ホンダ・レーシング・F1チーム#第2期|ホンダ]]の[[アイルトン・セナ]]が最終コーナーでクラッシュし、予選セッションが一時中断された。
 
予選では[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]・[[ホンダ・レーシング・F1チーム#第2期|ホンダ]][[ウィリアムズ・FW11#FW11B|FW11B]]の[[ナイジェル・マンセル]]が[[ポールポジション]]を獲得した。2番手には、シーズン後半に調子を上げてきたフェラーリの[[ゲルハルト・ベルガー]]がつけた。
 
約2,300メートルの高地にあり[[酸素]]が薄いことから、ターボエンジン車が上位を独占したが、舗装が悪くバンピーな上に、埃が多く滑りやすい路面に手こずるドライバーが多く、アクティブサスペンションのセッティングに苦慮したロータス・ホンダの[[アイルトン・セナ]]や[[中嶋悟]]が中盤に沈んだ他、予選アタックに失敗したマクラーレン・TAGの[[ステファン・ヨハンソン]]も中盤に沈んだ。
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====マンセル独走====
その後2ヒート制となったレースをマンセルが独走したまま優勝し、ドライバーズタイトル獲得に期待をつないだ。しかし、マンセルとのドライバーズタイトル争いで優位に立つピケも2位に入り、タイトル争いは[[1987年日本グランプリ (4輪)|日本GP]]に持ち越されることとなった。
 
[[Image:Eddie Cheever 2008 Goodwood.jpg|thumb|220px|right|エディー・チーバーがドライブするアロウズA10B・メガトロン]]