「平成幹」の版間の差分

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成幹は主君、義光の元へ結果を報告した。負傷していた成幹に義光は弟で[[比叡山延暦寺]]の僧侶[[快誉]]宛の書状を持たせて養生するように伝え比叡山に向かわせる。その書状には成幹の処断を指示する内容があった。そのため、成幹は快誉によって、口封じのために生き埋めにされて殺された。後に、この経緯が漏れたことから、成幹が誰かにこの内容を書き残すなどの方法で伝えていた可能性がある。
 
== 子孫 ==
幕末の[[新撰組]]の総局長だった[[芹沢鴨]]は、[[常陸国]]芹沢村の芹沢城主の流れを汲む上級郷士の芹沢家の出で、本名を平光幹(たいら・の・みつもと)といい子孫になる。
 
 
[[Category:平氏|なりもと]]