「全祖望」の版間の差分

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== 略伝 ==
鄞県([[浙江省]])の出身。生まれつき異常な天稟を持ち、14歳の時に博士弟子員に選抜され、16歳で[[郷試]]に応じその古文を査初白に認められ、19歳の時に天一閣に登用され、そこの書物を研究した。[[1729年]]に[[貢生]]に推挙され、[[北京市|北京]]におもむき侍郎・[[方苞]]に上書したことで知られ、順天郷試にあげられ侍郎・[[李紱]]はその文を大いに嘆賞したという。[[1736年]]に博学宏詞科に推薦され、その春に[[進士]]となり、[[翰林院]][[庶吉士]]となったが、博学鴻詞の試験はふたたび受けなかった。[[1737年]]に知県に左遷されたので故郷にもどり、二度と官職には就かなかった。以後は病と貧困の合間に学究生活を続け、[[天一閣]]・戢山・端渓などの諸院で諸士の教育に努めた。
 
== 学問・著作 ==