「おもしろクイズBOX」の版間の差分

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'''おもしろクイズBOX(おもしろくいずぼっくす)'''は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系で[[1983年]][[7月4日]]-[[1985年]][[6月24日]]、月曜19:30-20:00に放送されていた[[クイズ番組]]である。<br>司会は[[桂文珍]]、アシスタントは初代が[[田丸美寿々]](当時は美里美寿々。1985年3月に米国留学の為に降板)、2代目は[[白石マル美]](当時は白石まるみ。最晩年のアシスタント)。
 
前身番組は[[愛川欽也]]司会の『[[おもしろ博士クイズ]]』。日本テレビ系最後の[[ロート製薬]]1[[一社提供]]のクイズ番組でもあった。<!--正確には『大きなお世話だ』と『ごきげん月曜7時半』が最後の同社提供番組で、クイズ・ゲーム系ではこの番組が最後となった-->
 
==備考概要==
視聴者参加形式だった『おもしろ博士クイズ』を、芸能人対抗形式にリニューアルする形で開始した番組。日本各地の様々な話題を、毎回5名の芸能人が答えていく。
番組タイトルは、立方体の上底に「おもしろ」、左側面に「クイズ」、右側面に「BOX」と描かれている構成となっていたが、[[オープニングキャッチ]]では、「おもしろ」「クイズ」「BOX」が横並びで構成されていた。この時期のロート製薬1社提供番組のオープニングキャッチは、原則として番組タイトルをそのままの構成で出す構成となっている為、この番組のパターンは異例だった。
 
中期からは、番組マスコットの[[チンパンジー]]「大ちゃん」を使った問題を出す様になった。これは、後の『[[どうぶつ奇想天外!]]』や『[[天才!志村どうぶつ園]]』(日本テレビ)に受け継がれていく。
[[1984年]]1月3日の16:00~16:40、及び1985年1月3日の15:15~16:00には、『お正月スペシャル』として時間拡大バージョンが放送された。ちなみに45分通して[[ロート製薬|ロート]]単独提供だった。<br>製薬会社提供のレギュラー番組は、製薬会社同士の[[紳士協定]]で31分以上のテレビ番組の単独提供はできないが、単発番組だけは特例で、この場合のみ単独提供を行っている。<br>この例は、同じくロート単独提供番組で、いずれもレギュラー枠の単発版に当たる<br> ■ [[東京放送|TBSテレビ]]系列『[[クイズダービー|お正月だョ!クイズダービー]]』(1983,84年1月1日)<br> ■ [[毎日放送]]制作・TBSテレビ系列『[[アップダウンクイズ|アップダウンクイズ・新春スペシャル]]』(1979年1月2日,1981年1月4日)<br> ■ 毎日放送制作・TBSテレビ系列『[[クイズ!!ひらめきパスワード|クイズ!!ひらめきパスワード・お正月スペシャル]]』(1990,91年1月3日) にも当てはまる。
 
==おもな解答者==
*[[北方謙三]]
*[[斉藤慶子]]ほか
*[[大沢逸美]]
ほか
 
==備考==
番組タイトルは、立方体の上底に「おもしろ」、左側面に「クイズ」、右側面に「BOX」と描かれている構成となっていたが、[[オープニングキャッチ]]では、「おもしろ」「クイズ」「BOX」が横並びで構成されていた。この時期のロート製薬1社提供番組のオープニングキャッチは、原則として番組タイトルをそのままの構成で出す構成となっている為、この番組のパターンは異例だった。
 
[[1984年]]1月3日の16:00~16:40、及び1985年1月3日の15:15~16:00には、『お正月スペシャル』として時間拡大バージョンが放送された。ちなみに45分通して[[ロート製薬|ロート]]単独提供だった。<br>製薬会社提供のレギュラー番組は、製薬会社同士の[[紳士協定]]で31分以上のテレビ番組の単独提供はできないが、単発番組だけは特例で、この場合のみ単独提供を行っている。<br>この例は、同じくロート単独提供番組で、いずれもレギュラー枠の単発版に当たる<br> ■ [[東京放送|TBSテレビ]]系列『[[クイズダービー|お正月だョ!クイズダービー]]』(1983,84年1月1日)<br> ■ [[毎日放送]]制作・TBSテレビ系列『[[アップダウンクイズ|アップダウンクイズ・新春スペシャル]]』(1979年1月2日,1981年1月4日)<br> ■ 毎日放送制作・TBSテレビ系列『[[クイズ!!ひらめきパスワード|クイズ!!ひらめきパスワード・お正月スペシャル]]』(1990,91年1月3日) にも当てはまる。
 
==番組ネット局==
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== 番組の終焉 ==
*[[1985年]]初頭頃から裏番組の[[TBS]]『[[クイズ100人に聞きました]]』([[1984年]][[10月]]より『[[JNNニュースコープ]]』拡大のため、時間枠が19:20~20:00に変更)人気を奪われて視聴率が低迷し、同年3月にアシスタントを交代するも好転せず、番組改編期でない[[1985年]][[6月24日]]に終了した。
**余談だが、この最終回の放送日には、裏の[[テレビ朝日]]で[[松田聖子]]と[[神田正輝]]の結婚披露宴中継が放送されていた。
*後番組は、当時売り出し中の[[三宅裕司]]を中心にしたコントバラエティ『[[大きなお世話だ!]]』となり、ここに『[[底ぬけ脱線ゲーム]]』以来続いたクイズ&ゲーム路線(中断あり)は終わりとなった。