「日吉二宮神社」の版間の差分

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==歴史==
:創祀年代は不詳であるが、比叡本荘の総鎮守として勧請されたという。市内の[[大國主神社 (高島市)|大國主神社]]に残されている[[永正]]8年の御宮年中行事の記載によると、4月初酉日に本神社の例祭が'''下の御前祭'''と称し、上郷(田井・五十川・上野・米井・辻澤・森)と下郷(深溝・霜降・小池・山形)により行われていた。このことから、二社は元々[[日吉大社]]から勧請された兄弟社社であったと考えられている。元の鎮座地は、琵琶湖岸の低地であったが増水により、[[保延]]年間に現在地に遷座された。[[宝徳]]3年の神田帳では神田が多く宮敷地は九反歩あった。鳥羽院より聖地領として比叡本荘の社領を賜ったとされる。室町時代の土豪[[饗庭三坊]]のひとり定林坊播磨を初代とする饗庭氏が[[社家]]であった。
 
==祭事==