「ミキ・ビアシオン」の版間の差分

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*フォード時代の彼の扱いに対して、疑問を抱くものは多かった。フォード時代に共に戦い、ベルギー人ドライバーとして初のWRCトップを快走する活躍をみせた[[ブルーノ・ティリー]]は、”なぜ、ビアジオンともあろう人がこれだけ苦しんでいるのか”という言葉を残している程である。 しかし、彼が開発に携わった[[エスコート・コスワース]]はワークスチームだけに留まらず、他のプライベートチームにもその性能を認められていたことから、20年近くタイトル争いから遠ざかっていたフォード躍進の影の功労者といえるかもしれない。
 
*サインツ、オリオールと並んでマシン開発能力に秀でていたが、フォード時代はチーフ・エンジニアのフィリップ・ドゥナビンとの確執から、思うようなマシンの改良はおろか、セットアップも出来ずに走ることが多く、もし、ビアジオンの意向に沿ったセットアップがマシンに施されていたら、さらに活躍できたとの声も多い。ちなみにこのビアジオンと対立したエンジニアのドゥナビンは人嫌いで閉鎖的な性格で有名で、自分の意に沿わないドライバーを遠ざけることが多々あったようだ。ちなみにドゥナビンは後にフォードに移籍し、マシン開発に対して積極的かつ綿密な作業を行うことで有名なサインツがフォードに移籍した、ドゥビナンは彼と対立している。
 
*イタリアでは唯一の世界チャンピオンである彼は特別の存在である。スバルやセアトで活躍したピエロ・リアッティや、三菱で活躍したジャン・ルイジ・ガリは彼に対し、今でも尊敬の念を抱いている。