「ウーファ (映画会社)」の版間の差分

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一方ではトーキー作品も多く作られ、『西部戦線1918年』(1930)、『[[M (1931年の映画)|M]]』(1931)、『制服の処女』(1931)などの劇映画、前述の『[[嘆きの天使]]』(1930)、『ガソリンボーイ三人組』(1930)、『狂乱のモンテカルロ』(1931)、『[[会議は躍る]]』(1931)、『[[三文オペラ]]』(1931)『ワルツ合戦』(1933)などのシネオペレッタと呼ばれる音楽映画が相次いで製作され、レベルの高い作品と楽しい主題歌は世界中でヒットした。
 
[[画像:Bundesarchiv Bild 183-1990-1002-500, Besuch von Hitler und Goebbels bei der UFA.jpg|250px|thumb|ウーファーを視察する[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]と[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]]]
ナチス政権下では、『突撃隊員ブラント』、『ヒトラー少年クヴェックス』、『[[ユダヤ人ジュース]]』などの醜悪なプロパガンダ映画がつくられる一方、『[[誓いの休暇]]』、『[[ほら男爵の冒険]]』などの良作も製作された。映画人も、エミール・ヤニングスやヴェルナー・クラウスなどのスターが残ったが、かつての高レベルの映画を作る勢いはなかった。大戦勃発後も映画活動は続けられ、[[1945年]]1月、ソ連軍の砲火が迫る中、ゲッベルスの肝いりで最後の大作『コルベルク』が製作されたが、最早国内は映画どころではなかった。5月1日のドイツ降伏の日とともに『コルベルク』の上映は禁止された。
 
第二次大戦後には[[ナチス・ドイツ]]との関連が要因で、活動を停止する。政治にまったく関係のない映画作品であっても、ウーファーの名前を削って再発するという事態にまでなる。東側にあったスタジオはDeutsche Film AGとして存続したがドイツ再統一後の1990年に倒産。西側でもウーファーを復興させようという動きがあったが、失敗に終わった。しかし1991年以来、テレビの制作会社として[[ベルテルスマン]]グループの傘下に入っている。