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'''源 義業'''(みなもと の よしなり、[[1077年]]([[承暦]]元年) - [[1133年]][[4月4日]]([[長承]]2年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]])は[[平安時代]]の[[河内源氏]]の流れを汲む[[常陸源氏]]の[[武将]]。[[源義光]]の嫡男。[[佐竹氏]]の祖。進士判官、[[左衛門尉]]、刑部太郎、[[相模国|相模介]]、[[従五位下]]と称す。
 
[[佐竹氏]]を称したのは子の[[佐竹昌義|昌義]]であるが、実質的な[[佐竹氏]]初代。父、[[源義光]]を助け、源義光流の発展に寄与した。
 
== 一族・一門 ==
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* 1087年([[寛治]]元) - 父、[[源義光]]、[[後三年の役]]に参戦。官職を解任される。
* 1106年([[嘉承]]元) - 父とともに、従兄の[[源義国]]と関東において合戦をする。
* 1109年([[天仁]]2) - 義弟(妻の弟)[[平成幹|鹿島三郎成幹]]が[[源氏]]の棟梁で従兄の[[源義忠]]を暗殺。
* 1118年([[元永]]元) - 孫で[[佐竹氏]]二代となる[[佐竹隆義]]が生まれる。
* 1133年([[長承]]2) - 病没。