「アンドレ・ザ・ジャイアント」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
[[1973年]]に'''アンドレ・ザ・ジャイアント'''と改名してWWWF(後の[[WWE]])のプロモーター[[ビンス・マクマホン・シニア]]と契約。しかしWWWFとは専属契約をしたわけではなく、ビンスのブッキングで[[NWA (プロレス)|NWA]]や[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]はもとより世界中の様々な団体を定期的に短期参戦して回るようになる。これは「いつでも会える怪物」は一般層のファンにはすぐに飽きられる、という[[マーケティング]]上の都合からの判断である。実際、それまでにプロレス界に登場した怪物・怪奇レスラーは短期間で人気が衰えており、ビンスはそのあたりを懸念したものである。
 
この世界サーキットを行っていた10年間が彼の全盛期であり、アンドレはスペシャルゲストの立場で各地のビッグイベントに出場。[[ハーリー・レイス]]、[[ニック・ボックウィンクル]]、[[スーパースター・ビリー・グラハム]]ら当時のNWA・AWA・WWWFの3大王者を始め、[[ザ・シーク]]、[[ブラックジャック・マリガン]]、[[アーニー・ラッド]]、[[バロン・フォン・ラシク]]、[[ビル・イーディー|マスクド・スーパースター]]、[[ブルーザー・ブロディ]]、[[リック・フレアー]]、[[ボビー・ダンカン]]、[[ロディ・パイパー]]、[[サージェント・スローター]]ら全米のトップスターと対戦した([[ヨーロッパ|欧州]]では[[ローラン・ボック]]とのシングルマッチも実現している)。[[1974年]]の[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]には「年俸世界一(40万ドル)のプロレスラー」として彼が掲載されている。当時の[[為替]]レートは1ドル=約300円。
 
[[1984年]]、[[ビンス・マクマホン]]のWWF全米進出計画が始まり、このサーキットは終了して以降は退団するまでWWF専属選手となる。スーパースター軍団となったWWFでは同じ巨人型の[[ビッグ・ジョン・スタッド]]がライバルとなり、第一回[[レッスルマニア]]ではスタッドと『15000ドル争奪ボディスラム・マッチ』で対戦した。アンドレはアメリカでは絶対の[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]であったが、[[1987年]]、WWFでは長らく盟友だった[[ハルク・ホーガン]]を裏切り[[ヒール (プロレス)|ヒール]]に転向、コスチュームも黒のワンショルダーに変更した。同年の[[レッスルマニア]]IIIでは[[WWE王座|WWF王座]]を賭けホーガンと「世紀の対決」が行われたが敗れる。この試合でホーガンがアンドレを[[ボディスラム]]で投げたシーンはアメリカプロレス史上屈指の名シーンとなった。「WWE史」では2人はこの時が初対決とされるが、実際はこれ以前にもホーガンとの対決は日本の他アメリカでも数回行われている。翌[[1988年]]には再戦し、WWF王座の奪取にも成功。
 
:技ではないが、トップロープとセカンドロープの間に両腕を絡める独自のムーブを持っている。アンドレ自身が故意に腕を絡めているのだが「アンドレの巨体によってロープがたわむハプニングで腕が絡まってしまった」と見るのが礼儀。“両腕が塞がれているためアンドレは身動きが取れず、対戦相手がアンドレに向かっていくが逆にカウンターキックを見舞われてしまう”のが一連の流れ。ちなみに、相手にカウンターキックを放った後、簡単に両腕をロープから外す。タッグマッチではこれで身動きが取れない間に相方がフォールされる、という流れになる。 
:ちなみに現在では、生前のアンドレに匹敵する体格を持つWWEWWEの大型選手[[ダリップ・シン|グレート・カリ]]も、試合でこのロープに絡まるムーブを度々披露している。
 
== 入場テーマ曲 ==
匿名利用者