「片岡仁左衛門 (11代目)」の版間の差分

{{和暦|1907}}、49歳。大阪角座で「'''十一代目片岡仁左衛門'''」を襲名する。
 
その後は東京に腰を据えて、歌舞伎座の座頭となり、[[中村歌右衛門 (5代目)|五代目中村歌右衛門]]、[[市村羽左衛門 (15代目)|十五代目市村羽左衛門]]とともに「[[三衛門]]」として君臨。「[[團菊左]]」亡き後の東京歌舞伎を支えた。
 
彼の上京に関しては、当時歌右衛門襲名を巡って大阪の[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]と東京の[[中村芝翫]]との間に争いが起こり、仁左衛門が芝翫を支持したために鴈治郎関係者の反発を買って居辛くなったという説がある。