「宇都宮広綱」の版間の差分
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'''宇都宮 広綱'''(うつのみや ひろつな、[[天文 (元号)|天文]]
父が[[那須高資]]と戦って敗死したとき、わずか7歳と言う幼少であったため、家臣の[[芳賀高定]]に守られて[[宇都宮城]]を落ち延びる。そのため、以後は高定の補佐を受けて育つ。それから二年後の天文20年([[1551年]])、父の仇である高資を殺害する。[[弘治 (日本)|弘治]]元年([[1555年]])には、反抗的な家臣[[芳賀高照]]を高定が暗殺し、さらに宇都宮城を占領した家臣[[壬生綱房]]が急死し、弘治3年([[1557年]])、[[宇都宮城]]は広綱の手に戻った。
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その後は[[上杉謙信]]と同盟を結んで関東制覇を目指す[[後北条氏]]やその北条氏よりの諸大名と徹底して対立する。一時的に北条氏に屈したことも遭ったが、[[佐竹氏]]らと同盟を結んで、独立を保持した。
しかし[[天正]]
{{先代次代|[[下野宇都宮氏|下野宇都宮氏歴代当主]]|1549~1580|[[宇都宮尚綱]]|[[宇都宮国綱]]}}
[[Category:宇都宮氏|ひろつな]]
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[[category:戦国大名|うつのみや ひろつな]]
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