「松山野球拳おどり」の版間の差分

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[[1966年]](昭和41年)に松山市、松山[[商工会議所]]、[[南海放送]]、[[愛媛新聞社]]の四者で主催した「松山おどり」がその始まりである(松山おどりの名称は1971年の第6回まで)。
 
毎年、8月11日から13日までの3日間行われ、[[#野球拳おどり|野球拳おどり]]や[[#野球サンバ|野球サンバ]]の連(踊りのグループのこと)とチームが街を練り歩く。11日は野球サンバ、12日は野球拳おどり(企業連)、13日は野球拳おどり(団体連)が実施されている。野球サンバと野球拳おどりに関しては、「[[野球拳#踊りとしての野球拳]]」も参照されたい。

また、前後して[[松山港まつり]]([[花火大会]])が[[松山港#三津浜港|三津浜港]]で行われ、数10万人の人出がある。
 
==松山まつり前夜祭 ==
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==野球拳おどり ==
2日目と3日目は野球拳おどりが開催される。[[郷土芸能]]であり、服を脱いだりする行為は無い<ref>そもそも野球拳で服を脱ぐようになった原因は、[[マスメディア]]がバラエティ番組などを通じて、勝手にそのように捏造・改変し流布させたことに一因がある。詳細は「[[野球拳#お色気ゲームとしての野球拳|お色気ゲームとしての野球拳]]」を参照されたい。</ref>。最近は[[ロック (音楽)|ロック]]調のバージョンがいくつかリリースされており、若者の参加が増えている。また、当日参加出来る市民連も存在する。
 
==過去の松山まつり ==
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== 関連項目 ==
* [[野球拳]]
* [[三橋美智也]] - 松山まつりの「神輿音頭」を唄っている。