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[[Imageファイル:Elisabet, reina de Portugal.jpg|200px|thumb|right|イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ]]
'''イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ'''([[スペイン語]]:'''Isabel de Aragón y Castilla''', [[ポルトガル語]]:'''Isabel de Aragão e Castela''', [[1470年]] - [[1498年]][[8月15日]])は、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]の王妃。弟の[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]=[[アラゴン王国|アラゴン]]([[スペイン]])王太子[[フアン (アストゥリアス公)|フアン]]の死後、長女であるイサベルが王位継承者として[[アストゥリアス公|アストゥリアス女公]]となった。
 
[[アラゴン王国|アラゴン]]王[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]と[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]の長女として生まれた。
 
1490年、ポルトガル王太子アフォンソ([[ジョアン2世 (ポルトガル王)|ジョアン2世]]の嫡子)と結婚した。政略結婚であったが幸せなものだったという。5年後にジョアンが狩猟中の事故で若死にし、ペインティーリャへ帰国する。再婚せず[[修道院]]へ入りたいという彼女の願いは両親に受け入れられず、1497年にマヌエル1世(前夫アフォンソの叔父にあたる)と再婚する。同年、[[カトリック両王]]の一人息子で弟のアストゥリアス公フアンが急逝したため、イサベルが王位継承者となった。1498年、ポルトガル、カスティーリャ、アラゴンの王位継承者である長男ミゲル・ダ・パスを出産したものの、イサベルは産褥死した。ミゲル王子も2年後に早世し、マヌエルのスペイン王位への野望は潰えた。
 
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