「フアン (アストゥリアス公)」の版間の差分

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結婚から間もなく、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]と再婚する姉[[イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ|イサベル]]の婚礼に際してポルトガルへ赴く途上、[[サラマンカ]]で死去した。死因は[[結核]]であったと考えられている。フアンが死去した時、妻マルグリットは懐妊していたが、その後男子を死産した。
 
唯一の男子であったフアンの死により、フェルナンドとイサベル両王の王位継承権は長女である姉イサベルに移ったが、イサベルは1498年に王子[[ミゲル・ダ・パス]]を出産後に産褥して間もなくし、ミゲルも2年後の1500年に夭逝した。そのため、イサベルと両王の次女であるフアンの妹[[フアナ (カスティーリャ女王)|フアナ]]が王位継承者となった。
 
{{先代次代|[[アストゥリアス公]]|1478年 - 1497年|[[イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ|イサベル]]|[[イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ|イサベル]]}}