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'''サンシュ2世'''(Sancho II, [[1207年]][[9月8日]] - [[1248年]][[11月4日]])は第4代[[ポルトガル]]王(在位:1223年 - 1248年)。[[アフォンソ2世 (ポルトガル王)|アフォンソ2世]]と王妃[[ウラッカ・デ・カスティーリャ (ポルトガル王妃)|ウラッカ・デ・カスティーリャ]]の長男。
 
1238年、[[アレンテージョ]]全土と[[アルガルヴェ]]の東部海岸を征服した。内政一方は、王権の強化をはかり目指したが、教会と貴族の間の紛争に巻き込まれ、内政を乱す結果となった。これを理由に、高位聖職者たちは[[ローマ教皇]][[イノケンティウス4世]]に王の退位を申請した。1245年、教皇は[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]の「封建申請書」と国土寄進をたてに教勅書を出し、王位を王弟アフォンソ王子に譲ることを命じた。王は[[トレド]]に亡命し、死去した。
 
== 忠誠を尽くした城主 ==
[[コインブラ]]城主マルティン・デ・フレイタスは、新王アフォンソ3世が前王を追い出すかたちで即位したことを好まず、自分の城に立てこもった。アフォンソ3世は、新王に忠誠を誓わないコインブラを包囲した。サンシュ2世が死去するまで1年4ヶ月、マルティンは包囲を耐えた。前王の死去の知らせを聞くと、マルティンはアフォンソ3世の許可を得てトレドへ向かった。サンシュ2世の棺を開けてもらい、コインブラの城の鍵を遺骸の手に握らせた後、あらためて鍵を受け取った。帰国してマルティンは、アフォンソ3世に鍵を手渡した。サンシュ2世の手から鍵を渡すという、正規の手続きを踏むことにこだわった彼の行為に感動した王は、マルティンをそのままコインブラ城主にとどめようとしたが、彼は固辞して受けなかった。
 
== 参考文献 ==
*安部眞穏「波瀾万丈のポルトガル史」泰流社刊
 
{{先代次代|[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]]|1223 - 1248|[[アフォンソ2世 (ポルトガル王)|アフォンソ2世]]|[[アフォンソ3世 (ポルトガル王)|アフォンソ3世]]}}
 
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