「ブランディワインの戦い」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m ロボットによる 追加: nl:Slag bij Brandywine |
Penn Station (会話 | 投稿記録) m link & cat fix |
||
5行目:
|| caption =
|| date = [[1777年]], [[9月11日]]
|| place = [[ペンシル
|| result = 英国軍の大勝
|| combatant1 = [[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]
17行目:
|}}
'''ブランディワインの戦い''' は[[アメリカ独立戦争]]中の[[1777年]][[9月11日]]に[[ペンシル
==発端==
24行目:
[[ジョージ・ワシントン]]将軍は約10,600名の大陸軍をエルク河口とフィラデルフィアの間に置いていた。彼の軍はイギリス軍の上陸を北東に14kmほど離れたアイアンヒルから偵察することができた。上陸に手間取ったハウ軍はキャンプも張らずに進軍を始めた。その結果ワシントンは正確に敵の勢力を掴めなかった。
ワシントンは英国軍に対抗するためにチャズフォード(フォード(ford)は浅瀬)近くの高台を選んだ。チャズフォードは[[ボルチモア]]とフィラデルフィアを結ぶ道路を[[ブランディワイン川]]が横切る要衝であった。[[9月9日]]、ワシントンはここで戦闘が起こることを期待して、チャズフォードの上下流の浅瀬を守るように部隊を配置した。チャズフォードの数百ヤード南のパイルズフォードには約1000名のペンシル
イギリス軍は[[ケネットスクェア]]の近くに集結した。ハウは準備の整った大陸軍に全面的な戦いを仕掛けようとは考えていなかった。その代わりに[[ロングアイランドの戦い]]で用いたような側面攻撃を採用した。[[ウィルヘルム・フォン・クニプハウゼン]]指揮下の約5000名の部隊がチャズフォードでワシントンの軍と向き合う。一方で、[[チャールズ・コーンウォリス]]指揮下の残りの部隊は数マイル北のジェフェリスフォード(ここはワシントンが見過ごしていた)に向かいそこから南下して大陸軍の側面を攻撃する。
41行目:
その後の両軍は、9月20日から21日にかけての夜に起こった[[パオリの虐殺]]のような小競り合いに終止した。
大陸会議はフィラデルフィアを放棄し、まず1日のみ[[ランカスター (ペンシル
==関連項目==
50行目:
{{DEFAULTSORT:ふらんていわいんのたたかい}}
[[Category:アメリカ独立戦争の戦闘]]
[[Category:ペンシル
|