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ビテュニアと同盟関係にあったローマはミトリダテスの討伐を決定し、当時[[執政官]]であった[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]を司令官としてポントス王国との間で戦端を開いた。[[第一次ミトリダテス戦争]]と称される戦争でローマはポントスを破り、ローマとの和約でミトリダテスはニコメデスの王位復帰を認めた。
 
[[紀元前84年]]にニコメデスはビテュニア王へ復帰し、ビテュニアは今まで以上にローマの影響下に置かれた。[[紀元前81年]]、当時[[アシア属州]]総督付の武官であった[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]が、ローマの特使としてニコメデスの宮殿へ派遣された。カエサルはニコメデスの宮殿に長く滞在したが、このことで折りにカエサルはニコメデスと性的関係を持ったと噂が立ち、後にカエサルの政敵によって'''「ビテュニアの女王」'''と呼ばれることとなった。
 
[[紀元前74年]]にニコメデスは死去したが、ニコメデスは死後にビテュニア王国をローマへ贈与すると[[遺言]]しており、[[元老院]]もビテュニア王国をローマ属州(ビテュニア属州)へ移行させることを決した。しかし、この遺贈問題に異を唱えたミトリダテスは[[アルメニア王国]]等と連携して、反ローマに立ち上がり、[[第三次ミトリダテス戦争]]が勃発することなった。