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[[Imageファイル:LalaMustafaPasaMosque.jpg|thumb|250px|ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク(旧ニコラウス大聖堂)]]
'''ファマグスタ''' (Famagusta)は、[[キプロス]]東部・ファマグスタ地方の主要都市である。[[ギリシア語]]ではアモホストス(Αμμόχωστος)、[[トルコ語]]ではガーズィマウサ(Gazimağusa)と呼ばれる。湾の中央部にあり、キプロスで最も水深のある港がある。現在[[北キプロス・トルコ共和国]]支配下にある。古代には[[エジプト]]の[[プトレマイオス朝]]の女王にちなみアルシノエと呼ばれていたが、「砂に隠された」という意味のアンモコストスと呼ばれるようになった。この名前が西ヨーロッパでは「ファマグスタ」に変化し、トルコ語で「マウサ」(Mağusa)に変化した。
 
== 歴史 ==
紀元前300年、アルシノエという漁村であった。のち、サラミス撤退により小さな港町となった。
 
1878年の[[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]]の結果、[[イギリス]]がキプロス島の施政権を獲得したため、ファマグスタはイギリスの支配下となった。トルコ系住民は旧市街、ギリシャ系住民はヴェロシャ地区と棲み分けがされていた。[[第二次世界大戦]]中、町には[[ホロコースト]]から生還した[[ユダヤ人]]5万人を収容するキャンプが置かれた。彼らはイギリス領[[パレスティナ]]へ移住した。
 
[[Imageファイル:Varoscha.jpg|thumb|250px|海岸沿いのヴェロシャ地区。1970年代初頭は次次にビルの建つ観光地であったが、1974年以来ゴーストタウンとなっている]]
1960年の独立から、1974年の[[トルコ軍]]の侵攻まで、ファマグスタは文化・経済の両面で繁栄した。夏季には西欧諸国からの旅行者が加わり、町の人口が9万人から10万人弱まで増えたという(1974年の町の人口は3万9千人)。1974年8月14日のトルコ軍侵攻後、ヴェロシャ地区は軍に封鎖され、2万6,500人のギリシャ系住民は町から脱出できたものの、帰還は許されなかった。当時町に入れたジャーナリストによれば、品物を抱えたまま閉鎖されたデパートや、空っぽのホテルが残る、ゴーストタウン状態であったという。
 
現在、町の人口は3万9千人に回復したが、トルコ系住民と、侵攻後にトルコから移住した人々のみである。ヴェロシャの行政をキプロス政府から[[国際連合]]に移した場合、難民となっているギリシャ系住民の帰還を許し、港を双方に開放するという案が出されたが、北キプロス・トルコ共和国とトルコが拒否した。
 
== みどころ ==
* ローマ遺跡(浴場・競技場)
* 聖[[バルナバ]]教会
* ファマグスタ港の砦([[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の『[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]』で知られる。14世紀の壮麗な[[ゴシック]]様式のホールがある)
* ヴェネツィア宮殿(1571年のトルコ侵攻の際、砲撃で破壊され、トルコ支配下では刑務所となっていた)
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[[Category:キプロスの都市]]
 
[[sv:Famagusta]]
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