「土井利位」の版間の差分

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== 人物・逸話 ==
*[[大阪市]][[天王寺区]]にあった[[鏡如庵]](きょうにょあん)の通称である[[どんどろ大師]]の語源は、土井利位が[[大坂城代]]の在任中([[1834年]] - [[1837年]])の大坂城代屋敷が、鏡如庵(きょうにょあん)の近くにあったために、土井利位が鏡如庵に祀られている弘法大師を深く信仰して、折々に参拝していたために、「土井殿大師」(どいどのだいし)の名前が起こり、やがて「どんどろ大師」へ転訛したと伝えられる。鏡如庵は、[[明治時代]]初期に廃寺となり、その跡地には現在、[[どんどろ大師 善福寺]]([[高野山真言宗]])がある。土井利位との関連ははっきりしていないが、現在、境内に土井氏と刻まれた[[五輪塔]]が残っている。歌舞伎「[[傾城阿波の鳴門]]」・「[[国訛嫩笈摺]](くになまりふたばのおいずる)」に「どんどろ大師 門前の場」がある。
*土井利位は日本で初めて[[雪]]の結晶を[[顕微鏡]]で観察した人物として知られている。家老であり蘭学者の[[鷹見泉石]]の協力の下、20年にわたり雪の結晶を観察し、雪の結晶を『雪華』と命名して、観察結果を「[[雪華図説]]」「続雪華図説」にまとめ出版した。「[[雪華図説]]」「続雪華図説」は私家版で出版数も少なかったが、掲載されている結晶図はテキスタイルパターンとして取り入れられ、[[雪華模様]]の衣装が流行した。そのため、庶民から『雪の殿様』の愛称で親しまれた。雪華模様の別名『大炊模様』は、利位の官職からとられている。
*日本で初めて[[雪]]の結晶を[[顕微鏡]]で観察した人物として知られている。
*土井利位は家老であり蘭学者の[[鷹見泉石]]の協力の下、20年にわたり雪の結晶を観察し、雪の結晶を『雪華』と命名して、観察結果を「[[雪華図説]]」「続雪華図説」にまとめ出版した。「[[雪華図説]]」「続雪華図説」は私家版で出版数も少なかったが、掲載されている結晶図はテキスタイルパターンとして取り入れられ、[[雪華模様]]の衣装が流行した。そのため、庶民から『雪の殿様』の愛称で親しまれた。雪華模様の別名『大炊模様』は、利位の官職からとられている。
 
== 年譜 ==