「フーガの技法」の版間の差分

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== 音楽 ==
フーガの技法の初版はオープンスコアで書かれているものの、バッハの時代に一般的に使用された鍵盤楽器の音域内に収まで演奏できるように作曲されていながら、オープンスコアで書かれており、また単独の奏者により演奏可能なのにしかかかわらず、楽器指定がなされていない。これは当時の対位法的鍵盤作品にしばしば見られる形態であり、鍵盤以外の楽器で演奏されても良い旨を明言している作曲家もいた。また逆に協奏曲などを鍵盤用に編曲して演奏することもしばしばあった。こうしたことからバッハは、鍵盤独奏で演奏可能なフーガの技法について、いくつかの楽器の組み合わせによる演奏を容認していた可能性がある。現代では[[チェンバロ]]、[[ピアノ]]、[[オルガン]]、そして[[弦楽四重奏]]や[[オーケストラ]]など、様々な楽器の組み合わせで録音されたり、演奏されている。例えばWolfgang GraeserやHermann Scherchenはカノン以外の全てのフーガをオーケストラ用に編曲している。また2004年にはKenneth Amisがフーガとカノンを木管合奏用にアレンジしている。
 
未完成の最終フーガを除く全てのフーガは、上下[[転回 (音楽)|転回]]されたり装飾もしくは変形された主題をもとに書かれている。最終フーガの主題については、単純化された主題にすぎないとする説もある一方で、まったく別の主題であるとする説もある。一部の学者及び演奏家は後者の説に従い、未完成の最終フーガはフーガの技法とは別の、独立した作品であるとしている。
 
初版曲集未完成となったことについては、上記のほかにも研究者によって様々な説が出された。本当はもっと早くに完成していたが譜面が紛失したという説や、未完成のフーガはフーガの技法に含まれず、他の曲をもって曲集は完成していたという説もある。さらには、バッハのチェンバロ曲の多くが3の倍数組で構成されている事から、最初に完成した12曲の後に、もう一組の12曲を完成させる意向であったという推測もなされている。長年、これらの説を裏付けるような楽譜や資料は発見されていなかったが、近年の研究では、バッハがこの作品の出版について問い合わせた文献が残っており、少なくともこの作品を完成させる意図はあったこと、完成した曲はすでに校正願いを出していたこと、そして恐らく絶筆ではなかったことが指摘されている。
 
図らずも未完となってしまった曲集はバッハの意思を汲み出版されたが、わずか30部足らずほどしか売れず、同時代の評判はあって無きが如しであった。とはいえ一部の愛好家には次第に受け入れられ、1700年代以降の筆写譜が少なからず残されており、さらに1838年には[[カール・ツェルニー|ツェルニー]]校訂によるピアノ譜が出版された。この曲集が演奏家にクローズアップされるようになったのは、19世紀後半以降に[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]などの優れたピアニストがピアノで演奏することが広まってからであった。ちなみに、[[ゴルトベルク変奏曲]]の名演奏で知られる[[グレン・グールド]]が演奏した未完成のフーガは、[[カール・ツェルニー|ツェルニー]]校訂版によるものである。