「グース・ゴスリン」の版間の差分

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1930年のシーズン中に、[[ヘイニー・マナシュ]]らとの2対1の[[トレード]]で[[ボルチモア・オリオールズ|セントルイス・ブラウンズ]]に移籍。ブラウンズに3年間在籍した後[[1933年]]に再びセネタースに復帰すると、その年セネタースは3度目のリーグ制覇を遂げた。翌[[1934年]]には[[デトロイト・タイガース]]に移籍、[[チャーリー・ゲーリンジャー]]や[[ハンク・グリーンバーグ]]らと共にタイガースの"Gメン"の一員としてチームを牽引し、1934年、[[1935年]]と2度のワールドシリーズ出場を果たした。特に[[1935年のワールドシリーズ]]では、3勝3敗で迎えた第7戦にサヨナラヒットを放ち、タイガースを初の世界一に導く活躍をした。
 
[[1936年]]には打点125、122得点、24本塁打の活躍をし、[[MLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]にも出場したが、[[1937年]]末にタイガースが放出。翌[[1938年]]に三たびセネタースに復帰して38[[試合]]に出場するも同年引退した。実働18年で、100打点以上を挙げたシーズンが12度あるほか、打率3割以上は11度、100得点以上が7度に及ぶ。またゴスリンは、[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]で通算32本の本塁打を放っており、これは、ビジター選手がヤンキー・スタジアムで放った本塁打の最多記録である。
 
[[1968年]]にベテランズ委員会により[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たす。[[1971年]]にニュージャージー州ブリッジトンで死去。