「徹夜祷 (ラフマニノフ)」の版間の差分

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{{改名提案|徹夜祷 (ラフマニノフ)|date=2009年4月}}
{{記事名の制約|title=徹夜禱}}
{{otheruses|ラフマニノフの『晩祷』とも呼ばれる合唱曲|[[正教会]]の[[奉神礼]]としての晩祷の説明|晩祷 (正教会)|その他の用例|晩祷 (曖昧さ回避)}}
{{クラシック音楽}}
《'''徹夜祷'''》(ばんてつやとう)'''作品37(ALL-NIGHT Vigil OP.37)'''は、[[セルゲイ・ラフマニノフ]]({{lang|ru|Сергей Васильевич Рахманинов}}, Sergey Vasilievich Rachmaninov)の[[合唱|合唱曲]]。《'''晩祷'''》(ばんとう)とも。

[[ロシア正教会]]のための[[奉神礼]]音楽から全面的に想を得た合唱作品である。教会の[[奉神礼]]に実際に使われる事も稀にあるが<ref>CD『Night Vigil』グラモフォン社(1994年)に、ラフマニノフの[[徹夜祷]]が実際に奉神礼に用いられたライブ録音が収められている。場所は[[サンクトペテルブルク]]の[[救世主顕栄大聖堂]]、司祷と歌唱は同聖堂の[[神品 (正教会の聖職)|神品]]と[[聖歌隊]]による。</ref>、[[徹夜]]に百人規模で参祷者があるほどに相当に大規模な教会でなければ実現不可能な難曲である。「徹夜祷」は、[[1915年]]初頭に、2週間たらずで書き上げられ、同年3月に[[モスクワ]]で初演された。評論家からも聴衆からも温かく迎えられ、月に5回以上も再演されるほどの成功を収めた。ラフマニノフ自身にとっても、合唱交響曲《鐘》と並ぶ会心の作であり、第5曲を自分自身の葬儀に用いるように要望している。《'''[[聖金口イオアン聖体礼儀 (ラフマニノフ)|聖金口イオアン聖体礼儀]]'''》'''作品31'''とともに、ラフマニノフの[[宗教曲]]の双璧をなすことで有名だが、革命前後の混乱もあってかラフマニノフは早くに[[教会]]通いを止めていた。
 
== 曲目 ==
「晩『徹夜は、[[正教会]]の[[奉神礼]]祝文のうち、[[徹夜祷]]を構成する3つの部分([[晩課]]・[[早課]]・第[[一時課]])に曲付けされている。
 
'''[[晩課]]'''
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ラフマニノフは、15曲のうち10曲を正教会の聖歌に基づいて作曲している。一方、第1曲、第3曲、第6曲、第10曲、第11曲の計5曲は、ラフマニノフ自身の創作だが、作曲者自身がこれらを「意識的なでっち上げ」と呼んだように、非常に深く聖歌に影響されている。
 
「晩『徹夜には3つの様式が認められる。「[[ズナメニ聖歌]]」(第7番、第8番、第9番、第12番、第13番、第14番)と、より朗誦的な「ギリシャの旋律」(第2曲と第15曲)、そして「キエフ聖歌」(ズナメニ聖歌のウクライナ版、第4曲と第5曲)である。作曲に先立ってラフマニノフはステファン・スモレンスキーのもとで古い聖歌を研究した。このため本作は「スモレンスキーの追憶に」献呈されている。混声4部合唱のために作曲されているが、多くの場合に声部数は3声から8声まで変化する。声部が沢山分かれている場合でも男声と女声が同じ旋律・副旋律を歌って厚みを加えているなど、[[ボルトニャンスキー]]の[[合唱コンチェルト]]をはじめとするイタリア由来の合唱聖歌作法と、伝統的に行なわれていた単声聖歌への参祷者([[奉神礼]]への参加者)各々の発意による和声付け唱法とを融合させている。
 
== 奉神礼聖歌略史 ==