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現代に残される『原初年代記』の写本によると、[[862年]]、[[ノヴゴロド]]を支配していた[[ヴァリャーグ]]のリューリクは、自分の部下、アスコルドとディールを南方に遣わした。その二人は[[ドニエプル川]]を下り途中、キエフを発見してそこを治めるようになったと記されている。[[866年]]、アスコルドとディールの軍勢は[[コンスタンティノープル|コンスタンティノポリス]]を襲って惨敗を喫した。当時の[[ギリシア]]側の記録には、[[ルーシ族]]の兵士は命と引き換えに[[洗礼]]を受けたという。
10世紀の[[アラブ人]]の歴史学者[[アリ・マスディ]]は、9世紀半ばの[[東スラブ人]]には「アリ・ディール」という有な王様が存在していたと記している。現代の多くの研究者はその「アリ・ディール」は『
伝説によると、[[882年]]、リューリクの上意に従った[[オレグ_(キエフ大公)|オレグ]]というヴァリャーグの長は、兵を率いてキエフへ出発し、アスコルドとディールを欺いて殺害し、キエフに都を構えた。
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