「ルイ6世 (フランス王)」の版間の差分
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'''ルイ6世'''(Louis VI
強力な[[イングランド]]王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]、[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]に挟まれながらフランス王権の防衛に努めた。
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父フィリップ1世が[[ローマ教皇]][[ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世]]と対立して破門されて失意に落ちたため、王になる前から国の実権を握っていた。1108年、父の死により王位を継いで即位する。ルイ6世はフランス諸侯の反乱に苦しめられたが、幼少時からの親友である[[シュジェール]](聖職者で、聖ドニ大修道院院長)を政治顧問として重用し、宗教政策による諸侯の統率、父の代から対立する[[イングランド]]との交渉などを行なって、国内の安定化に努めた。
しかし諸侯の統率は今ひとつまとまっていなかったため、時の[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]の侵攻を受ける。フランスは危機に陥ったが、シュジェールは[[パリのディオニュシウス|聖ドニ]]の軍旗である「オリフラム」を掲げることで、信仰心ということからフランスの諸侯を参集させてまとめ上げ、これを撃退することに成功した。また、シュジェール主導のもと、[[修道院]]改革なども行なわれている。
1137年、王太子の[[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]](若年王)と南フランスに広大な領土を占める[[アキテーヌ地域圏|アキテーヌ]]公領の相続人[[アリエノール・ダキテーヌ|エレアノール]](アリエノール)との婚姻を決めた後、死去した。
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[[Category:1137年没]]
[[ar:لويس السادس]]
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