「アントワーヌ=ジャン・グロ」の版間の差分

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グロは[[ジェノヴァ]]で、多大な量のミニアチュールを創作して生活した。彼は[[フィレンツェ]]を訪れ、そこで[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ]]の知遇を得てジェノヴァへ戻った。彼はジョゼフィーヌに連れられて[[ミラノ]]へ向かい、そこで彼女の夫[[ナポレオン・ボナパルト]]に歓待された。
 
[[1796年]]11月15日、グロはナポレオンが橋上に[[フランスの旗<!--国旗]]でなく軍旗と思われる。-->を揚げた[[アルコレ (ヴェローナ県)|アルコレ]]近郊にフランス軍とともにいた([[アルコレの戦い]])。グロはこの出来事に飛びつき、画家は自身の天職であると思い定める作品を仕上げたのである。ナポレオンはすぐにグロに''inspecteur aux revues''(掠奪する美術品の評価監査員)の地位を与え、彼を軍に同行させることにした。[[1797年]]には[[ルーヴル美術館]]に収蔵する戦利品を吟味する委員会に彼を任命した。
 
===出世三部作===