「エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール」の版間の差分

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== 晩年 ==
 
ポンパドゥール夫人の死後も筆頭大臣の地位を保ったショワズールだったが、その失脚は[[デュ・バリー夫人]]によってもたらされた。ショワズール自身遅かれ早かれこういうことになるだろうと思っていたようである。もともとデュ・バリー夫人に批判的だったショワズールだったし、新しい愛妾を利用してショワズールを失脚させようとする政敵も多かったが、直接の引き金を引いたのはデュ・バリー夫人を盛んに攻撃したショワズールの妻と妹[[グラモン公爵夫人]]であったという。ショワズールはデュ・バリー夫人よりもその後ろの[[ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレ・ド・リシュリュー|リシュリュー元帥]]を敵と見なしていたようである。その後のフランス政治はしばらく三頭政治と言われる体制になる。隠遁命令を受けて田舎に引っ込んだショワズールは回想録の作成にいそしんだ。
 
死去したとき、ショワズールは巨額の借金を残した。膨大な財産を継承し、重職を長くしかも掛け持ちで務めてその給与も莫大であったというのに、それほどに散在していたわけである。夫人に対して、自分は国家に長く大きく貢献したのだから国王に頼んで何とかしてもらってくれと言い残したという話はたいていの本が引用している。