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'''長尾 憲景'''(ながお のりかげ、[[永正]]8年([[1511年]] - [[天正]]11年([[1583年]]))は[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[山内上杉家]]家臣。通称は孫四郎、左衛門尉。号は市井斎。白井長尾家当主。上野[[白井城]]主。子に長尾憲春 [[長尾輝景]]、[[長尾景広]]。総社長尾顕忠(または庶流、高津[[長尾顕景]])の子で、白井[[長尾景誠]]の養子であり、初め景房を称して主君[[上杉憲政]]の偏諱を受け、憲景と改名した。[[永禄]]10年([[1567年]])、甲斐の[[武田信玄]]の上野侵攻で、白井の所領を失い、越後の[[上杉謙信]]の許へ逃れた。
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