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ボリビアの[[サッカー]]史において最も重要な役割を果たした競技場で、[[1963年]]の[[コパ・アメリカ]]でボリビアが優勝した際の舞台であり、また、[[1993年]]に[[1994 FIFAワールドカップ・南米予選|W杯南米予選]]でボリビアが[[ブラジル]]に勝利したのもこの競技場においてであった。なお、この試合はブラジルがワールドカップ予選で史上初めて敗退したものであった。
 
[[2007年]]5月までは、[[国際サッカー連盟]] (FIFA)はワールドカップ予選競技場として認めていたが、[[ビジター]]としてこの競技場に来るチームが、試合までの数日で高地順応しなければいけないのは公平さに欠けると抗議をしたため、2007年5月27日にFIFAは「標高2,500m以上の競技場で試合をしてはいけない」と発表した<ref>[http://fifa.com/en/media/index/0,1369,138541,00.html?articleid=138541 Fifa.com]</ref> 。[[エボ・モラレス]]ボリビア大統領を含む幾人かはこれに反発し、南米高地、特に[[アンデス山脈|アンデス]]地域に対する[[差別]]であると訴えた<ref>[http://www.nytimes.com/2007/05/29/sports/29soccer.html The New York Times]</ref> 。以降、エルナンド・シレスの名前は、FIFAの高地試合拒否に対するボリビアの戦いを象徴するものとなった。約1ヶ月に渡る抗議行動の結果、[[2007年]]7月27日にFIFAは標高制限を2,500mから3,000mに引き上げた。さらにその翌日、エスタディオ・エルナンド・シレス競技場は特例として[[2014年]]ワールドカップ予選会場として認めると発表した。なお、この抗議行動の一環として、モラレス大統領は標高6,500m以上ある[[サハマ]]山頂でサッカーをするというデモンストレーションを行なった<ref>[http://www.foxnews.com/story/0,2933,281452,00.html Bolivia's Leader Plays Soccer Atop Mountain in Protest of FIFA's Ban]</ref>。
 
== 出典 ==