「与那国島」の版間の差分

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# '''古代文明遺跡説'''<br />かつて古代[[文明]]がこの地に存在し、何かに使用した建物であるとする説。<br />「遺跡」であれば、水没したのは動植物の分布や鍾乳石から、前回の[[氷河期]]が終わって海面が上昇したときであるとの説があり、これが事実ならば、1万年以上前の世界最古の古代遺跡ということになる<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/summit/jp/tokusyu/ruins1.htm 特集:観光新世紀 海底遺跡の真価]</ref>。また、発見者である新嵩喜八郎主催の与那国海底遺跡博物館のWEBによると、遺跡説の中では古代遺跡説がかなり有力である[http://www.yonaguni.jp/pointo-chizu.htm 与那国海底遺跡博物館より]。<br />しかし周辺に同様の様式を持った遺構などを含めて1万年以上前の文明の痕跡らしきものが一切発見されていないこと、「遺跡」の傾き(これは与那国周辺の地層そのままである)が大きすぎて施設として考えた場合に実用性が疑わしいこと、そもそも人の手が加わった証拠が全く見つかっていないことなどから、この説には疑問の声が強い。
# '''石切り場説'''<br />1.に対して、施設を作る為に石を切り出す場所であったとする説。<br />これは階段状に直角に切り出されている部分は説明がつくが、切り出した石の行方が説明できない。
# '''中世遺跡説'''<br />1.に対して、比較的新しい時代の遺跡とする説。<br />2005年から2006年にかけて、遺跡の全貌の把握ならびに年代特定のために、琉球大学主催で本格調査が実施された。そして、採集した遺跡のサンプルから年代の特定が行われた結果、遺跡が水没した年代は、[[10世紀]]後半から[[11世紀]]前半にかけての時代であることが判明したとされる(論文・報告書は未公刊の為、この主張の客観的検証は現時点では不可能)。<br />これが事実であれば、1万年以上前の古代遺跡とする説は否定され、古代文明も存在しなかったことになる。しかしながら、琉球史では、遺跡が水没したとされる時代の資料が非常に少なく、南西諸島における地殻変動の記録も未だ見つかっていないため、結論は未だ出せない状況である。とは言え数十mもの地殻変動であれば影響は広範囲に渡ると予想されるため、その記録が一切発見されていないことは説を疑問視するに充分な状況証拠となっている。また、「遺跡」がある地盤はずっと古いものであり、中世に沈没したものとはとても考えられない
* '''侵食説'''
:岩が[[侵食]]されてできた自然地形であるとする説。