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[[1918年]]、[[第一次世界大戦]]に敗北してドイツ帝国と[[オーストリア・ハンガリー二重帝国]]が崩壊、[[民族自決]]によるオーストリア領内の諸民族の独立は、二つのドイツ人国家間の主導権争いと非ドイツ系民族の問題を解消させることとなり、再度「大ドイツ主義」によるドイツ統一の希望を抱かせることになった。特に工業生産力の高い[[チェコ]]の独立は[[第一共和国 (オーストリア)|オーストリア共和国]]を経済的に脆弱にし、経済的な自立は極めて困難と考えられ、ドイツとの合併以外には生存方法はないと考えられるようになっていた。
 
1918年11月のオーストリア臨時国民議会は「ドイツ系オーストリアはドイツ共和国の一構成部分である」という決議を全会一致で行い(''この点に関してのみは右派も左派も一致した見解であった'')、[[オーストリア社会民主党]]の[[カール・レンナー]]首相も講和の条件としてこの問題を取り上げた。ところがまた、[[フランス1919年]][[7月31日]]に[[ヴァタリアマル共和政]]など一部の戦勝国は「弱体化させなければならない敗戦国であるドイツが却って国土を拡大で採択せるのはおかしい」と異論を挟んだ。一部には「民族自決は敗戦国れた[[ヴァイマル憲法]]にも当然、将来権利オーストリアして許される併合をほではない」とる意見も条文があったが、結局<ref>第61条第二項に「ドイツオーストリア人はドイツと合同合併は認めずその代わり連合ドイツはオーストリアが独立を維持でき民議会に参加すための措置権利与えられを決定したのでいう条文がある。</ref>
 
ところが[[フランス]]や[[イタリア]]などの一部の戦勝国は「弱体化させなければならない敗戦国であるドイツが却って国土を拡大させるのはおかしい」と異論を挟んだ。一部には「[[民族自決]]は敗戦国にも当然の権利として許されるのではないか」とする意見もあったが、結局ドイツとオーストリアの合併は認めず、[[1919年]][[9月10日]]に締結された[[サン=ジェルマン条約]]によって合邦の禁止は明文化された。
[[1922年]][[10月4日]]、[[国際連盟]]の斡旋でオーストリア首相[[イグナーツ・ザイペル]]と4ヶ国([[イギリス]]・フランス・イタリア・[[チェコスロヴァキア]])は、[[ジュネーヴ議定書 (1922年)|ジュネーヴ議定書]]を締結し、6億5000万クローネ(3000万[[UKポンド|英ポンド]])の国際借款と引き換えに''ドイツとオーストリアは今後20年間にわたり合併しない''という条件と国際連盟による財政管理の義務付けという条件を受け入れた。
 
一方連合国はオーストリアが独立を維持できるための措置も取り、[[1922年]][[10月4日]]、[[国際連盟]]の斡旋でオーストリア首相[[イグナーツ・ザイペル]]と4ヶ国([[イギリス]]・フランス・イタリア・[[チェコスロヴァキア]])は、[[ジュネーヴ議定書 (1922年)|ジュネーヴ議定書]]を締結した。これによりオーストリアは6億5000万クローネ(3000万[[UKポンド|英ポンド]])の国際借款と引き換えに''ドイツとオーストリアは今後20年間にわたり合併しない''という条件と国際連盟による財政管理の義務付けという条件を受け入れた。
 
==「独墺関税同盟」事件==
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