「平参平」の版間の差分

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[[1959年]]、[[吉本興業]]に加わり[[1961年]]座長となった。若い頃から老け役専門、脇役専門で[[1968年]]、吉本新喜劇は平と[[花紀京]]、[[秋山たか志]](漫才師の[[秋山右楽・左楽]]の右楽の息子)を座長とする三つの組に分かれたが、花紀、秋山が主役を張るのに対して平はあくまで脇にこだわり、新しい才能に主役をやらせて、自らは脇を固めるというパターンを多用し、爺さんキャラの看板座長として不動の地位を築いた。そこから前記、秋山の他、岡八郎、木村進、[[間寛平]]、[[阿吾寿朗]]らを世に出した。
 
また[[白木みのる]]とのコンビで、「毎度おおきに」などのテレビのコメディ番組や「[[てなもんや三度笠]]」などに出演し人気を博した。映画も「無法松の一生」、「座頭市二段斬り」、「喜劇トルコ風呂 王将戦」、「まむしの兄弟 二人合せて30犯」など脇役として多数出演した。右手を力なく振り下ろす動作で発する「いや、そんなこと言うてからに、ホンマに'''ア~ホ~'''」の定番ギャグや、「ひざが壊れてしもうた」と、片足をカクカクさせて歩き、[[脚気]]の検査のように自分でひざを叩くと、足がぴょんと伸びて相手の股間を蹴る動きギャグが有名。こっちのギャグは現在ではテレビ放送ができないのでは、と言われる。のちの[[坂田利夫]]に受け継がれた「アホ」キャラのルーツとも言われる。面倒見のよい人柄で多くの後輩芸人からも慕われ、多の[[吉本興業]]関係者からも身の上相談を受ける存在であったという。[[1986年]]死去。
 
== 出演作 ==