「ディディエ・オリオール」の版間の差分

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翌1989年には[[ランチア]]・ワークスと契約、翌90年もワークスランチアを駆り年間3勝するも[[カルロス・サインツ]]に及ばずドライバーズタイトルを逃す。1991年にはサテライトチームのジョリークラブに移籍する。1992年には[[ランチア]]ワークスに復帰し、全14戦のうち10戦に参戦、当時の年間最多勝である6勝及び最多連勝記録である5連勝を記録する。しかしスポット参戦および後半戦になると技術支援を行っていたアバルトが開発から手を引いてしまったため、マシンの戦闘力が低下し、[[カルロス・サインツ]]にまたも及ばず、ドライバーズタイトルはまたしても獲得できなかった。
 
1993年にランチアは活動を縮小、戦闘力が衰えた為に[[トヨタ・チーム・ヨーロッパ]](TTE)に移籍。同年のタイトルはチームメイトの[[ユハ・カンクネン]]が得るものの、翌94年はサインツとの争いに競り勝ち、三勝を挙げフランス人初のWRCタイトルを獲得する。
 
1995年は前年のサンレモラリーから投入されていた[[トヨタ自動車|トヨタ]]・[[トヨタ・セリカ|セリカ]]ST-205で本格的に戦うこととなるが、カタルーニャ・ラリーに於いてフィニッシュしたオリオールのマシンのターボ・リストリクターがレギュレーションに抵触することが判明、トヨタは1996年、97年のWRC活動を停止することとなり、オリオールは96年のシートを失ってしまう。しかしマシン開発能力の評価は高く、翌年4月にTTEと再契約、復帰を果たす
 
トヨタは1997年の[[トヨタ・カローラWRC|カローラWRC]]での復帰に向け、サテライトチームを使いセリカST-205での参戦を行い、オリオールも97年の第7戦アルゼンチン・ラリーに[[イタリア]]のプライベーター、グリフォーネからセリカST-205で参加し五位に入賞。同年の第10戦ラリー・フィンランドからTTEは完全復帰する。1998年からは[[カルロス・サインツ]]と共にカローラWRCを操るものの、同年と翌年共に一勝のみにとどまる。