「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の版間の差分

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* 足が不自由であることから、身代金受け渡し現場から素早く逃げられない(アリバイ崩しの過程で実際には身のこなしは敏捷であることが分かった)。
 
最終的に小原を自供に追い込んだのは、刑事・平塚八兵衛による、徹底的なアリバイの洗い直しと供述の矛盾を突く粘り強い取り調べの結果であった。小原は以前の取り調べと同じように相手をはぐらかすような受け答えを続け、平塚は与えられた取り調べ期間の最終日に小原の「日暮里大火<ref>火災発生は1963年4月2日の午後。最初の脅迫電話がかかって来た時、テレビのニュースでこの火災のことを報じていたのを、吉展ちゃんの祖母が覚えていた([[本田靖春]]・著『誘拐』〈2005年・[[ちくま文庫]]、P.308~309〉より)。</ref>を山手線の車中から見た<ref>供述通り福島県にいた場合、見ることができない。</ref>」という何気ない一言からようやく「落とす」ことにこぎ着けた。
 
小原は1965年[[7月]]に犯行を認め、まもなく[[逮捕]]された。