「アルバート・ジョンストン」の版間の差分

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| 戦闘 = [[ブラック・ホーク戦争]]<br/>[[テキサス革命]]<br/>[[米墨戦争]]
* [[モンテレーの戦い]]
* [[ブエナビスタの戦い]]
[[ユタ戦争]]<br/>[[南北戦争]]
* [[シャイローの戦い]](戦死)
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== アメリカ陸軍 ==
ジョンストンは[[米墨戦争]]のときにテキサス軍に戻り、[[ザカリー・テイラー]]将軍の下で第1テキサス・ライフル銃志願兵連隊の大佐を務めた。ジョンストンの部下の志願兵としての徴兵期間は[[モンテレーの戦い]]の直前に切れた。ジョンストンは何人かの志願兵に自分と同じように軍隊に留まり、志願兵の監察長官として戦うよう説得することができ、モンテレーの戦いや[[ブエナビスタの戦い]]に参戦した。戦後自分のプランテーションに帰っていたが、当時の大統領となったテイラーから指名されてアメリカ陸軍の少佐となり、[[1849年]]12月には主計担当となった。この職は5年間以上続け、6度旅に出て、毎年テキサスのインディアンとの前線を4,000マイル (6,400 km)以上移動した。テキサスの辺境や西部の他の地域で働いた。[[1855年]]、[[フランクリン・ピアース]]大統領から新設の第2アメリカ騎兵隊(現在の第5騎兵連隊の前身)の大佐に指名された。[[ユタ戦争]]ではアメリカ軍を率いて中心人物となり、以前の[[モルモン教]]徒の領土に非モルモン教の政府を樹立した。このユタでの功績に対し、[[1857年]]に名誉准将に昇進した。[[1860年]]はケンタッキー州で過ごし、[[12月21日]]に[[カリフォルニア州]]に向けて出発し、太平洋方面軍の指揮官となった。
 
== 南北戦争 ==