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Hideki1976 (会話 | 投稿記録) オールパシフィック王座 |
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'''バイソン木村'''(バイソンきむら、本名
== 経歴・戦歴 ==
[[1985年]]に高校を卒業後、半年間OLを経験した後、[[全日本女子プロレス]]のオーディションを受け合格。同期に[[アジャ・コング]]・[[KAORU_(プロレスラー)|KAORU]]・[[Cooga|神谷美織]]・[[工藤めぐみ]]・[[コンバット豊田]]・[[高橋美華]]らがおり、俗に『'''61年組'''』と呼ばれている。
すでに高校を卒業し社会人であったと言う事もあり、本来なら当時の全女のオーディションへの受験資格は無かったが、3月生まれで、オーディション開催時はまだ18歳だった為、形の上では応募資格があり、盲点をついた受験であった。
[[1986年]][[9月10日]]、茨城・古川市立体育館において、対大橋順子戦でデビュー戦を行い、その後、[[ダンプ松本]]率いる『極悪同盟』に加入、ヒールレスラーとなる。
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同じくユニバーサルに出場した事で、男性ファンから人気が出ていたアジャと組みブル&グリズリーとの獄門党対決を行い勝利するが、これを機に獄門党を離脱し、ヒールながらもワンレガースタイルの[[コスチューム]]にソバージュヘアーを振り乱してのケサ斬りチョップでファンの人気も高く、アジャと組み、ブル中野&井上京子との髪切りマッチで負けて坊主になった時にはファンに衝撃を与えた。
髪が伸びてショートヘアになったバイソンは精悍さを増し、美貌とよく鍛えられた身体、印象的なコスチュームと相まってさらに人気は上昇した。自身とアジャの他、同期の神谷と高橋も共に『ジャングル・ジャック』に加入。WWWA世界タッグや[[オールパシフィック王座]]に就くものの、[[1991年]]にアジャとのシングルマッチを行い、負傷した事をきっかけに長期欠場した後、引退する。
その後、全女が東京ドームで興行を行った際、OGとしてのエキビジションマッチに出場した後、[[ジャガー横田]]・[[ライオネス飛鳥]]と共に『'''雷神隊'''(ライディーン・アレイ)』を結成し、本格的にカムバックするが、ブランクから試合勘を取り戻せず低迷、不本意な試合内容が多くなってしまう(この頃から、全女の経営難は水面下で噴出し始めていた為、本人が望んでも、所属選手以外の選手に対するカードは中々組まれなかった事も要因となっていた)。
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* STF
* トルネード・スタープレス
* ムーンサルト
* ブリザード・スープレックス
== タイトル歴 ==
* 全日本タッグ
* WWWAタッグ
* [[オールパシフィック王座]]
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[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1967年生]]
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