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[[Imageファイル:AlBukhari mausoleum.jpg|thumb|right|280px|[[サマルカンド]]近郊のブハーリー廟]]
'''ムハンマド・アル=ブハーリー'''または'''アル=ブハーリー'''([[アラビア語]] أبو عبد الله محمد بن إسماعيل بن إبراهيم بن مغيرة الجعفى البخاري Abū ‘Abd Allāh Muḥammad ibn Ismā‘īl ibn Ibrāhīm Mughīra al-Ja‘fā al-Bukhārī、[[810年]] - [[870年]])は[[9世紀]]の[[イスラム世界|イスラーム世界]]で活躍した[[ハディース]](主に[[イスラーム]]の[[預言者]][[ムハンマド]]の言行についての'''伝承''')学者、[[イスラーム法学]]者。ブハーリーは字義通りには[[ペルシア語]]における[[ブハラ|ブハーラー]]の[[形容詞]]形であり、「ブハーラーの(人)」という意味となる。そのためムハンマド・アル=ブハーリーは「ブハーラー出身のムハンマド」という意味である。[[スンナ派]]ハディース集の最高峰とされる『真正集』(アル=ジャーミウ・アッ=サヒーフ)の編纂者。
 
ブハーリーの曾祖父ムギーラはブハーラー出身の[[ゾロアスター教|ゾロアスター教徒]]であったといい、ブハーラーに進駐して来たアラブ人総督の[[マワーリー]]となり[[ムスリム]]に改宗したと伝えられる。
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またそのほかにも、歴史・神学・法学などに関する書物を多く著した。
 
*牧野信也訳 「[[ハディース]] イスラーム伝承集成」 [[中公文庫]]全6巻 2001年、中央公論社 上中下巻 1994年 
**牧野信也「イスラームの原点 <[[コーラン]]>と<ハディース>」 中央公論社 1996年
**牧野信也「[[イスラーム]]の根源をさぐる 現実世界のより深い理解のために」中央公論新社 2005年
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[[Category:イスラーム法学者]]
[[Category:810年生]]
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[[ar:محمد بن إسماعيل البخاري]]
[[bs:Buharija]]
[[de:Al-Buchārī]]
[[en:Muhammad al-Bukhari]]