「強制徴募」の版間の差分

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強制徴募隊は、国民を軍務につかせる国王の権力に基づき、水夫を強制的に海軍の艦船に勤務させるために組織された(当時は兵には「海軍に所属する」という意識は無く、その都度報酬を得て艦船に勤務した)。自ら志願した者には、強制徴募された者とは異なり、前払いで報酬が支払われた。海軍は航海を終えた商船からも水夫を強制徴募したが、それは軍の強制徴募隊でなく個々の軍艦ごとに行われた。強制徴募は「プレス・ギャング」と呼ばれ、イギリス市民に(アメリカの植民地の場合と同様に)に一貫して嫌われていたので、地方当局はしばしばこれに抵抗し、強制徴募隊の士官を拘束したり、武器を取って彼らに対抗することまであった。しかし、強制徴募隊が集めた水夫の約半分は強制徴募者でなく志願者であり(徴募という好ましからざる事態の中で可能な限り有利になるようにし、また志願報奨金も得られるように、やむなく志願した場合もあっただろうが)、人気のある艦長や士官の場合は、水夫からしばしばその船に乗組みたいと請われることもあった。
 
強制徴募のほかに、イングランドは[[1795年]]から[[1815年]]まで[[クオータ制 (イギリス海軍)|クオータ(Quota)システム]](または「the Quod」)を利用した。各郡はそれぞれの港の数と人口とに応じて特定の数の志願兵を差し出すことが求められた。強制徴募とは異なり、クオータシステムはしばしば犯罪者や未熟な陸上生活者を船に乗せる結果を招いた。
 
強制徴募は平時にはあまり行われなかった。平時には海軍で勤務でき、またその意思もある水夫の余裕があったからであり、また商船の給料は通常下がったため、選択肢として魅力がなくなっていたからである。