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'''夏原吉'''(かげんきつ、[[1366年]] - [[1430年]])は、[[明]]初期の[[政治家]]。[[湖南省]][[湘陰県]]の人。[[字]]は維喆。
 
苦学の末に[[国子監]]に入り、[[洪武帝]]の抜擢を受けて[[戸部 (六部)|戸部]]畑を歴任した。[[靖難の役]]では、[[建文帝]]の側にあって一時捕えられるが、[[永楽帝]]もその才を認めて[[1402年]]に[[戸部尚書]]に抜擢し、以後19年にわたってその職にあった。直後に洪水に悩まされていた浙西地区での治水工事を成功させて水利を安定させ、[[北京]][[遷都]]・[[漠北親征]]などの費用の捻出などに尽力し、明朝財政の基礎を築いた。[[1410年]]の永楽帝の漠北親征の際には皇太子[[朱高熾]](後の[[洪熙帝]])を補佐して北京の留守を守った。だが、[[1421年]]の漠北親征の際には反対論を唱え、永楽帝を諌めて怒りを買って投獄された。3年後に永楽帝が没して洪熙帝が立つと直ちに釈放されて戸部尚書に復職し、以後死ぬまでその職にあった。洪熙帝が急逝して若い[[宣徳帝]]が即位すると[[楊士奇]]とともにこれを補佐し、三楊(楊士奇・[[楊栄]]・[[楊溥 (明)|楊溥]])とともに重んじられた。死後に「忠靖」と諡られた。
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[[Category:1366年生]]
[[Category:1430年没]]
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[[zh:夏原吉]]