「桜緋紗子」の版間の差分

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*[[1929年]]、叔父に勧められ女学校を中退して憧れていた[[宝塚音楽学校|宝塚音楽歌劇学校]]へ入校。[[1930年]]4月、[[宝塚歌劇団|宝塚少女歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]の生徒として『春のをどり』で初舞台を踏んだ。
:[[春日野八千代]]・[[葦原邦子]]は一期上、[[神代錦]]・[[園井恵子]]らは同期となる。特に寄宿舎で同室となった園井とは仲が良かった。
*芸名「桜緋紗子」は[[吉野山]]で見て感動した[[桜]]と[[小倉百人一首]]の[[紀友則]]の句「久方の 光長閑けき 春の日に 静心無く 花の散るらむ (ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづごころなく はなのちるらむ」から付けた。
 
*いい役に恵まれず4年が過ぎるが[[1933年]]11月、[[岸田辰彌]]に『プリンセスナネット』の主役に抜擢される。[[草笛美子]]の急病による降板で廻ってきたチャンスを掴んだ。