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罪人は[[石見銀山処刑場]]で処刑された後、[[五百羅漢]]<ref>五百羅漢の石仏は処刑された罪人の霊を慰めるために作られたものとも言われる。</ref>前の水路を通ってこの山奥の穴まで運ばれたといわれている。
[[江戸時代]]、司法制度もない時代で無実の罪人も多く処罰されたと言い伝えられている。
その反省から[[明治時代]]に入ってから[[大森]]にも[[裁判所]]が設けられるようになった(旧大森区裁判所)。<ref>現在は町並み交流センターとなり当時の法廷の様子がまねきんで再現されている。展示室では、石見銀山の歴史と暮らしを紹介した資料映像を見ることができる
== 脚注 ==
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