「恩寵 (キリスト教)」の版間の差分

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'''神の恵み'''(かみのめぐみ、{{lang-el|χαρις}}, {{lang-la|Gratia}}, {{lang-en|the divine grace}}, {{lang-ru|Благодать}})は[[ユダヤ教]]・[[キリスト教]]の概念で、人類の各人に神の祝福・助け・幸せへの導きなどが常にふりそそいでいるとするもの。'''恩寵'''・'''恩恵'''といった訳語・語彙があるほか、単に「'''恵み'''」とも。
 
== 旧約聖書における記述 ==
==ユダヤ教からキリスト教へ==
「神の恵み」(ヘーン)の概念は。もともと、[[ユダヤ教]]と[[キリスト教]]が[[正典]]とする[[旧約聖書]]にあった。また、これと似た関連する概念をもつとされるものに「神の憐み」(ヘセド)があった[[旧約聖書|正典]]に、記述えばとしては
 
<ul>
主、主、憐み深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾世代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。([[出エジプト記]] 34章6~7節、[[新共同訳聖書]]から)
</ul>
 
などとしていがある。
 
=== 各言語における表記 ===
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== キリスト教 ==
 
キリスト教では上の概念をさらに発展させて、人類の各人に神の祝福・助け・幸せへの導きなどが常にふりそそいでいるとしている。[[新約聖書]]の記述に、
* [[ローマの信徒への手紙]]3章24節
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「神の恵み」は[[日本聖書協会]]の[[口語訳聖書]]・[[新共同訳聖書]]、他にも[[新改訳聖書]]などで一般的な表記であるが<ref>[[文語訳聖書]]では「<ruby><rb>神</rb><rp>(</rp><rt>かみ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>恩恵</rb><rp>(</rp><rt>めぐみ</rt><rp>)</rp></ruby>」(ローマ3:24など)</ref>、[[正教会]]では'''[[恩寵]]'''(おんちょう)が一般的表記であるほか<ref>[http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/sekaikan02.html 天使と悪魔] - [[日本正教会]]公式サイト</ref>、日本の[[カトリック教会]]でもよく用いられる表記である<ref>[http://www6.ocn.ne.jp/~catholic/okaya_main.html カトリック岡谷教会]</ref>。カトリック教会では'''聖寵'''(せいちょう)とも<ref>[http://www17.ocn.ne.jp/~kitami50/abashiric1.html 網走教会]</ref>。また、[[プロテスタント]]にも「'''恩寵'''」の語彙を用いるものがある<ref>[http://tokyo-oncho.org/reformed-church.html 日本キリスト改革派 東京恩寵教会]</ref>。古くは「'''恩典'''」([[中国語]]でも「恩典」)などともいった。
 
=== 概念についての諸見解 ===
 
==== さまざまな見解西方教会 ====
==== 西方教会では ====
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[[アウグスティヌス]]は、神の恵み、恩恵を強調したので、「恩恵の博士」(doctor gratiae)と呼ばれる。[[ペラギウス]]の唱えた[[ペラギウス主義]]が「功績による救済」であるのに対し、アウグスティヌスは「恩恵による救済」を教えた。アウグスティヌスは人間が[[全的堕落|全的に堕落]]し、救われるためには神の恵みによらなければならないが、神はすべての人を救われるのではなく、救われるべき人々を神があらかじめ選ばれたという[[予定説]]を展開した。<ref>[[アリスター・マクグラス]]『宗教改革の思想』教文館p.103-106</ref><ref>マクグラス『キリスト教神学入門』教文館p.608-610</ref>
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[[改革派教会|改革派]]の考え方では、神の恵みは[[一般恩寵]]([[一般啓示]])と[[特別恩寵]]([[特別啓示]])に分けられる。一般恩寵は堕落の結果を制御するもので、自然、人間の良心、歴史において啓示されているが、一般の人々に与えられ、人を救いに導くものではない。特別恩寵は救いについての神の啓示であり、人を救いに導く神の特別な恵みである。<ref>[[マーティン・ロイドジョンズ]]『キリスト者の戦い』いのちのことば社</ref><ref>[[尾山令仁]]『聖書の教理』羊群社</ref>
 
==== 正教会では ====
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祈祷文「[[アヴェ・マリア]]」では、文語訳に「恩寵」の語が出てくる。ただし、日本のカトリック教会公式のものでは「'''聖寵'''」となっている。また、「[[アメイジング・グレイス]]は著名な[[賛美歌]]で歌詞中の"grace"は「神の恵み」「恩寵」の意味である。正教会の聖歌で「恩寵」が題名に含まれているものとしては「[[恩寵を満ち被る者]]」が、[[生神女]]に向けた聖歌として代表的である。
 
英語ではグレース(grace)(「恵み」、grace)の類語としてマーシー(「憐み」、[[:en:Mercy|mercy]])がある。スペイン語ではグラシア(gracia)(「恵み」、gracia)の類語としてメルセデス(「憐み」、[[:es:Mercedes|mercedes]])がある。英語の[[グレース]]・[[マーシー]]、スペイン語その他の[[メルセデス]]などは、[[西欧]]諸国で好んで女性名として用いられている。また日本でも、クリスチャンの人々が子供に「恵」(男子はめぐむ、女子はめぐみ)、「恵子」(女子)などの命名をする例もある。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[ユダヤ教]]、[[キリスト教]]、[[聖書]]、[[旧約聖書]]、[[新約聖書]]
* [[恩寵の手段]]
* [[一般恩寵]]