「サラ・ポールフリー」の版間の差分

参考文献の原書名
(参考文献の原書名)
全米選手権女子シングルスで2勝目を挙げた後、彼女は[[1946年]]からプロテニス選手になった。この後エルウッド・クックと離婚し、[[ニューヨーク]]の実業家ジェリー・ダンジグと3度目の結婚をした。選手生活から引退した後、彼女はビジネスの分野でも成功を収め、テニス関連の著述活動にも携わった。[[1963年]]に[[国際テニス殿堂]]入り。[[1996年]][[2月27日]]、サラ・ハモンド・ポールフリー・ファビアン・クック・ダンジグは[[ニューヨーク]]で83年の生涯を終えた。
== 4大大会優勝 ==
* [[全米オープン (テニス)|全米選手権]] 女子シングルス:2勝(1941年1945年)/女子ダブルス:9勝(1930年1932年1934年1935年1937年-1941年)/混合ダブルス:4勝(1932年1935年1937年1941年) [女子シングルス準優勝2度:1934年1935年]
* [[全仏オープン|全仏選手権]] 混合ダブルス:1勝(1939年) [女子ダブルス準優勝1度:1934年]
* [[ウィンブルドン選手権]] 女子ダブルス:2勝(1938年1939年) [混合ダブルス準優勝2度:1936年1938年]
== 外部リンク ==
* [http://www.tennisfame.com/famer.aspx?pgID=867&hof_id=232 国際テニス殿堂(英語)]
== 参考文献 ==
* マーティン・ヘッジズ著『Martin Hedges, “''The Concise Dictionary of Tennis''” (コンサイス・テニス辞書』(英語、) Mayflower Books Inc., New York (1978年刊、) ISBN 0831717653、メイフラワー・ブックス)0-8317-1765-3
* [[ランス・ティンゲイ著『|Lance Tingay]], “''100 Years of Wimbledon''” (ウィンブルドンの100年史』(英語、) Guinness Superlatives Ltd., London (1977年刊、) ISBN 0900424710、アルファ・オメガ社)0-900424-71-0
 
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[[Category:1912年生]]
[[Category:1996年没]]
 
[[de:Sarah Palfrey Cooke]]
[[en:Sarah Palfrey Cooke]]
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