「ノンフィクション「逆転」事件」の版間の差分

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==経緯==
1964年8月に[[沖縄]](当時はアメリカ占領統治下)で、日本人4人とアメリカ兵2人の間でけんかが起こり、アメリカ兵1人が死亡、1人がけがをした。日本人4人は[[逮捕]]され、[[米国民政府裁判所]]に[[起訴]]された。当時の沖縄においても日本の刑法(明治40年法律第45号)は従来どおり施行されていた。しかし、米関係者に係る犯罪や米国民政府の機関に対する犯罪については、これを別個に処罰するため[[集成刑会議]]典([[刑法並びかけら訴訟手続法典]])が適用された。[[集成刑法]]典のもとでの刑事訴訟手続は、アメリカ流の刑事訴訟手続であった(そのためアメリカ流の陪審審理が行われた)。(のちに『逆転』を執筆する)伊佐を含め、様々な国籍の[[陪審員]]12人が選任された(うち1人は病気になったため、評議を行ったのは11人)。
 
伊佐はアメリカ兵の挑発がそもそもの原因であることや検察の主張する凶器に疑問があることから、粘り強く[[無罪]]を主張し、結局傷害致死罪は無罪、傷害罪は有罪という評決に至った。しかし、同年11月に下った判決は伊佐の予想以上に重く、3人(Aを含む)が実刑、1人が[[執行猶予]]付きというものであった(この事件・裁判は沖縄でのみ報道されたようである)。